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「相対」と「絶対」

 先日、福岡飲酒運転事故の一審判決が出ました。

 その量刑については、納得のいかない人が多いだろうと思われます。

「かように、『危険運転致死傷罪』適用のハードルは高かった」

 …というのが私の感想です。



 ところで、飲酒運転をする人にも言い分があるらしく、

 それは次のようなものです。

「自分は酒に強いから大丈夫」「飲んでも今まで無事故だよ」

「これくらいの量ならOK」「誰でもやっている」等々…

 私は、これを聞いたとき、ひとつのことばが頭に浮かびました。
 


 それは、an evil conscience という聖書の言葉です。

 日本語訳では、「邪悪な良心」となっています。

 私は、この箇所を初めて目にした時、「エーッ!」と思いました。

 だって、「良心は良いものだ」と考えるのが普通でしょう。



 しかし時が経つにつれて次第に納得がいきました。

 人間の良心というものが「絶対的」と思えなくなったからです。

 人間の正しさは限りなく「相対的」であり、それは多くの場合

 環境によって左右される、ということなのです。



 飲酒運転常習者の言い分はちょっとひどい例ですが、

 よく考えてみれば、人間の正しさが相対的だから、

 国や民族の数だけ正義があり、争いが起こります。


 卑近な例では、夫婦喧嘩の原因も、またしかり…(苦笑)

 これら人間間の争いは、「人間の正しさが相対的」である所から

 起きてくるものではないでしょうか。



『絶対者はどのように見られるのだろうか?』


 私たちがこのような視点を持つことができれば、

 無用な争いは激減すると思います。

 飲酒運転もなくなり、偽装問題も起きないでしょう。


 絶対者とまではいかなくとも、

「私が今正しいとしていることは、本当に正しいだろうか?」

 このような疑問を持つことは、とても尊いと思います。



  Therefore do not let your good be spoken of as evil.


     BIBLE(Romans 14:16)
by danueno | 2008-01-15 16:53 | 編集後記


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