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ゴーギャンの問い

 ゴーギャン展の案内をあちこちで見かけます。

 先日TVで特集をやっていた際、絵にはとんと興味のない息子が、

「あの絵は新宿駅のポスターで見た」と言うほどです。

  http://www.gauguin2009.jp/



 あの絵とは、ゴーギャンの最晩年の大作、

「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか」

 です。


 およそ絵のタイトルとして似つかわしくありませんが、

 これは異様なほど強いインパクトを持つタイトルです。


 なぜ、これほどのインパクトを持つのか?

 それは、このゴーギャンの問いが、人間にとって最も根元的な問い

 だからではないでしょうか。


  我々はどこから来たのか…

   我々は何者なのか…

 我々はどこへ行くのか…


 私たちは、その答を知りたくてたまりません。

 しかし、誰もこの問いに答えることができず、問いを発した者は、

 むなしく沈黙の前にたたずむことになります。

 
 それで、ほとんどの人はこの問いにフタをして忘れたふりをします。

 沈黙の向こうには、何か恐ろしいものの気配があり、

 まともに探求しようとする者を不安に陥れます。

 実際、この絵を描いた後、ゴーギャンは自殺をはかりました。



 ですからこの問いは、神様しか答えることができない問いである、

 と私は思うのです。


 旧約聖書の登場人物であるヨブは、全財産と10人の子供を

 1日のうちに奪い去られた時、こう語りました。


  「私は裸で母の胎から出て来た。

   また、裸で私はかしこに帰ろう。

   主は与え、主は取られる。

   主の御名はほむべきかな。」


 ヨブの言葉は、ゴーギャンの問いの答を知った者にしか言えない、

 深い確信と、静かな安らぎに満ちています。



   "Naked I came from my mother's womb, and naked I will

depart. The LORD gave and the LORD has taken away;

may the name of the LORD be praised."

           Bible(Job 1:21)


〔私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」〕
              聖書(ヨブ記 1章21節)



  ※我々はどこへ行くのか?
   「残された命の日数を正しく数える」東海大学名誉教授、
重田定義氏のメッセージです。
   http://www.geocities.jp/hecaress/He/Messages/SgHikazu.html
by danueno | 2009-07-22 17:07 | 編集後記


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