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クリスマスの本当の意味

クリスマス・イルミネーションと言うんでしょうか?最近あちこちで見かけ
ますね。

うちの近所に凄いのがあって、あまり目立ったので近くまで行ってまじまじ
見ました。「君んち、ラスベガスかいっ?」というのがその感想。 (^_^;)

さて、先週の編集後記で、「英語では相手に答えるとき、たいていの場合、
主語のIがまず頭の部分に来ます」と書きました。

  I think …、I guess…、I want…、

つまり、発想の起点がいつも自分であるということ…。

「我思う。ゆえに我あり。」というんでしょうか。このような近代的自我が
ヨーロッパから芽生えたというのは故なくもありません。

でも、この「自我の主張」は欧米人に限らずすべての人間に見られることで、
私には、ここから人間同士のいざこざが始まると思えてならないんです。

朝から晩まで、考えるのは自分のことばかり…。
「私のしたいこと」「私の欲しいもの」「私の仕事の成功」「私の将来…」

(…あ、これは他ならぬ私のことですが… (^_^;)

あなたの「私」と、私の「私」がぶつかりあって、ミシミシと軋み、音を立
てているような社会の現状があります。その先に、最近の子供をまきこんだ
悲惨な事件や、例の偽装問題があったとは言えないでしょうか…。

英語で罪を sin と言います。

よく見るとIが中心にあります。I(私)がどっしりと中心に居座っている
状態ですね。

このどうしようもない自我の救いのために、2000年前にイエス・キリストは
人となってこの世に生まれてくださった。

そして、ご自分の命を人類の罪滅ぼしのために捧げてくださった。

「イエス・キリストこそ人類への最高のプレゼント!」
これが本当のクリスマスの意味だと、聖書には書いてあります。

…クリスマスには聖書を読んでみませんか。(^o^)

 “ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。主権はその肩にあり、
  その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ば
  れる。”(聖書 イザヤ書9章6ー7節)


ちょっと早いですが…
Merry Christmas to you!
Dan Ueno Jr.
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by danueno | 2005-12-15 17:22 | 編集後記

「期待」(anticipation)の大切さ

前回は、「期待」(anticipation)の大切さについてお話ししました。

 英語では、フレーズごとに「次にどんな言葉がくるのかな?」と次を「期待」
 しながら、読んだり聞いたりすることが決定的に重要、ということでしたね。

 それはなぜかというと、この「期待」が、一見バラバラに並んでいるように
 見える、英語のフレーズを、相互に結びつける働きをするんです。

 つまり、「期待」は「フレーズの接着剤」ということでしたね。

 この辺りはとても大事なポイントなので、少し丁寧に復習してみましょう。

 まず、前回の例文をご覧下さい。


----------------------------------------------------------------------

  Henry and Anna Polivoda were active retirees until they were

hit while out for a walk in their Los Angeles neighborhood by a car

fleeing police because of missing license plates.

----------------------------------------------------------------------      



 この英文をフレーズで句切り、SIM訳を付けると以下のようになります。

----------------------------------------------------------------------
 
 Henry and Anna Polivoda were active retirees …
ヘンリーとアナ・ポリヴォダは活動的に引退生活を送っていました

until they were hit …
彼らがはねられるまでは

while out for a walk in their Los Angeles neighborhood …
彼らのロサンゼルスの家の近辺を散歩中に

       by a car fleeing police …
        警察から逃げていた車に

         because of missing license plates.
       ナンバープレートが無いために(逃げていた)。

----------------------------------------------------------------------
                    

 上記の、それぞれのフレーズが接着するように、「期待」を用いてみまし
 ょう。
 
 わかりやすくするために、あえて内容を日本語のみで記すと、下記のよう
 な流れになります。期待する内容は(  )で表しています。


-----------------------------------------------------------------------

 ヘンリーとアナ・ポリヴォダは活動的に引退生活を送っていました

           ↓

       彼らがはねられるまでは

        (いつはねられたの?)

                  ↓ 

彼らのロサンゼルスの家の近辺を散歩中に

              (何にはねられたの?)

   ↓
       
         警察から逃げていた車に

              (何で逃げていたの?) 
                   
                  ↓
        
       ナンバープレートが無いために。

---------------------------------------------------------------------


 このように書き表すと、フレーズの接着剤である「期待」の重要性が、はっ 
 きりと浮き彫りにされます。

 なぜなら、この「期待」を取っ払うと、文章は意味のつながらないフレーズ
 の羅列になってしまうからです。


------------------------------------------------------------------- 

  ヘンリーとアナ・ポリヴォダは活動的に引退生活を送っていました、

  彼らがはねられるまでは、

  彼らのロサンゼルスの家の近辺を散歩中に、

  警察から逃げていた車に、

  ナンバープレートが無いために。

-------------------------------------------------------------------

 いかがでしょうか?

 何やら、スムーズに意味が通りませんよね。


 
 さて、上記の訳ですが、これは「SIM訳」そのものです。
 
 実は今日、私が皆さんにお話ししたいことは、この「SIM訳の特徴」なん
 です。

 何というか、SIM訳には、とても誤解されやすい一面があるんです。

 私が日頃残念に思うのは、「スーパーエルマーの変な訳(SIM訳のこと)
 に違和感があって入会しなかった」という感想を時々目にすることです。

 この誤解はどこから来るのでしょうか?

 …今までの説明で、もうおわかりですよね。

 「期待」を取っ払ってしまうと、SIM訳は意味のつながらないフレーズの
 羅列になってしまうからなんです。
 
 つまり、「SIM訳」と「期待」はワンセットであって、それを知らないと
 ただの「変な日本語」に過ぎないんですね。



 しかし、SIM訳に関する誤解の根は、実はもっと深いところにあります。

 それは、日本語と英語との間に横たわる越えがたい壁、渡ることのできない
 深い川に根ざしたものなんです。

 そのことについて、今日は少しお話ししてみます。

 ではここで、ちょっと実験してみましょう。

 前記のSIM訳を「返り読み」で組み替えると、どうなるでしょうか?


----------------------------------------------------------------------

  ヘンリーとアナ・ポリヴォダは、ロサンゼルスの家の近辺を散歩中に、
  ナンバープレートが無いために警察から逃げていた車にはねられるま
  では、活動的に引退生活を送っていました。

----------------------------------------------------------------------


 これは非常にすんなり納得できる訳ですね。
 ちょっとゴテゴテした文章ですが意味は通ります。

 それは、私たちが日本人だからです。

 日本人である私たちは、このような語順に、生まれたときから慣れ親しん
 でいるからです。



 日本語の基本形は、「いつ → 誰が → どこで → 何をした」です。

 たとえば、こんな感じです。


  「昨日、私は新宿に行きました。」
 

 実際には、この基本形を元にして、さらに付帯状況を挿入したり、順序を
 入れ替えたりと、さまざまなヴァリエーションがありえるでしょう。


  「私は、昨日、彼と会うために新宿に行きました。」

  「彼と会うために、昨日、私は新宿に行きました。」
 
  「私は新宿に、昨日、彼と会うために行きました。」 


 しかしいくら変化したように見えても、よくご覧下さい、動詞「行きました」
 は必ず文章の最後にありますね。

 …いかがでしょうか?

 実は、これが日本語の大原則なんです。

 日本語は、動詞(正確に言うと述語動詞)が、たいていの場合、文章の最後
 に来るという基本的な性質を持っているんです。
 
 そして、動詞さえ最後に来れば、その途中はどんなに入れ替わっても、私達
 日本人には違和感がありません。

 「終わり良ければすべて良し」ですね。動詞が最後に来さえすれば、どんな
 変化球にも私たちは耐えられるんです。



 でも、動詞を動かすと、どうしようもない。

      …あ、ダジャレです。失礼しました (^_^;)
 
 またちょっと、いろいろ実験してみましょう。

 まず、動詞はそのままの位置で、それ以外のフレーズを少し入れ替えてみ
 ましょう。


  「私は新宿に、彼と食事をするために、昨日、行きました。」

 これには違和感がありませんね。

 この程度の入れ替えは、会話でもよくあります。

 では、次にいよいよ、問題の「動詞の入れ替え」をしてみましょう。


  「私は行きました、彼と食事をするために、昨日。」


 これは変ですね。…決定的な違和感があります。

 その違和感の原因は、「動詞を動かしてしまった」ことにあるんです。
 「動詞が変な位置にある」、ということなんです。

 このように、日本語は「動詞が最後に来る」という大原則を無視すると、
 とたんに変になってしまう、これが日本語の一大特徴なんです。
 
 
 
 ところが、見てください。

 上記の変な日本語の語順は、「英語の語順」そのものなんです。


   I went to Shinjuku to meet with him yesterday.

   私は行きました…新宿に…彼と会うために…昨日。


 …いかがでしょうか?

 このように英語はたいていの場合、まず文頭にS+Vが来ます。

 「主語のすぐ次に述語動詞がある」、これが英語の大原則です。

 そして、このことが「動詞を最後に持ってきたい」という日本人の心情と、
 限りなくバッティングしてしまうんですね。
 
 いわば「神経が逆なでされる」というやつです…

 つまり英語というものは、その語順からして、もう生理的に、日本人には
 受け入れがたい言語なんです。

 ここに日本人の英語学習の難しさがあります。 :-)



    それを解決するものが…

         …「期待」(anticipation)なんです…

                     …この続きはまた次回。

    
                 ご期待ください! \(^o^)/
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by danueno | 2005-12-15 17:22 | SIMうんちく

あいまいで素晴らしい日本

このところ、音読号の「SIMうんちく」で、英語と日本語の違いについて
書いています。

これに関して読者の方から、「ダン上野Jr.さんは日本がおきらいですか?」
という質問がありました。

とんでもありません。私は日本および、日本人が大好きです。

特に、日本を離れて外から故国を見ることのできた留学時代、私にとって
日本はかけがえのない国になりました。

日本人の良いところは奥ゆかしいところです。
これに比して、欧米人はとてもストレートです。

欧米人の中にいると、いつも自分の立場というか、意見をはっきりしておか
なければなりません。「それはイエス」「これはノー」と、常に白黒つける
ことを迫られるんですね。それをしないと、「何を考えているのかわからな
い不気味な人」、あるいはアホな人 (^_^;) と受け取られることがあります。

そのような環境は、ある意味ドライで爽快です。しかし、時としてあまりに
ドライ過ぎて、くたびれてしまうこともありました。

これには「言語」というものが関係しているのではないかと思っています。

たとえば、英語では相手に答えるとき、たいていの場合、主語のIがまず頭
の部分に来ます。

I think …、I guess…、I want…、

Yes、Noの場合にも次にIが来ます。

つまり、発想の起点がいつも自分なんです。「私はこう考えます。私はこう
して欲しい…」と、自己を主張し、打ち出していかなければならない構造
なんですね。

すると、いきおい、自己主張のきつい、甘えの許されない人間関係になって
いくような気がするんです。

それと逆に、日本ではなるべく主語の「私」を省略する傾向があります。
それでも言わんとすることは通じてしまうんですね。

たとえば先日も、「あなた、明日、買い物につきあってくれない?」と言う
妻に、「う~ん、明日か~。」と答えるだけで通じてしまいました。

これなどは、主語どころか、Yes、Noさえ明確には言っていないんです。
それでも通じるなんて、日本ってホントに素晴らしい!  (^_^;)
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by danueno | 2005-12-09 11:18 | 編集後記

近未来の英語学習法

「パソコンがいらなくなる時代」になりつつあるんだそうです。

え~っ!という感じですが、アスキー創立者の西和彦さんがそうおっしゃ
っていました。

…何でも、「携帯電話の時代になる」んだそうです。

携帯電話が高機能化してきたことで、パソコン機能がどんどん携帯電話に
取り込まれています。

携帯電話の画面がもう少し大きくなり、USB端子が付き、キーボードを
接続できるようになれば、パソコンに遜色なくなる、というわけです。

う~ん、時代はそこまで来ましたか…

思えば、私の小さい頃、アニメの登場人物が腕時計につけた超小型の通信
機器で連絡を取り合っているのを見て「カッコイイナー!」と思ったもの
です。

ところが自分が実際に携帯を使ってみると、何というか、これこそまさに
子供の頃の「アレ」と同じではないですか。

科学の進歩は、ちょっと前までは夢であったような技術を、現実のものに
してしまいます。

そして、携帯がパソコン化する…!

考えてもみてください…。
移動中に電車の中で携帯電話を使って、パソコンに遜色ないレベルの仕事が
できたり、インターネットやメールが楽しめたり、学習ができたりするん
です!

そうなったら英語学習も変わるでしょうね。

少なくとも、机の前に座って勉強するというのは、昔の話になってしまう
でしょう。

これは「時と場所を選ばない」ということで、学習者にとってますます勉強
しやすい時代の到来、ということですね。
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by danueno | 2005-12-01 11:19 | 編集後記