カテゴリ:編集後記( 275 )

FOOTPRINTS(足あと) 

 そろそろ本格的に寒くなり、冬本番が近づいてきました。

 会社の前の桜の木も、今やとうに秋の紅葉は落ち尽くし、
 寒風の中に黒い木肌をさらしています。

 
 しかし、どんなに厳寒の冬でも、また春ともなれば、
 ピンクの美しい花が咲くことを知っています。

 そんな桜を見ていると、桜は自分で頑張って「生きている」
 のではなく、何か大きな存在に「生かされている」のだと、
 つくづく思います。


 私たちもまた、厳しい世間の寒風にさらされ、
 心がふさぐ時があります。

 そんな時こそ、私たちは自分の力で「生きている」のではない、
 実は、目に見えない大きな存在に「生かされている」のだ、
 ということに気付く良い機会なのです。
 
 夜寝ていても、私たちの心臓と肺を動かしていてくださる、
 そんな大きな存在に見守られ、抱かれ、愛され、
 生かされていることを。


 こんな素敵な詩があります。



           * * *



        FOOTPRINTS(足あと)


  ある夜、私は夢を見た。


  私は、神様とともに、なぎさを歩いていた。
  暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。


  どの光景にも、砂の上に二人の足あとが残されていた。
  一つは私の足あと、もう一つは神様の足あとであった。


  これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
  私は、砂の上の足あとに目を留めた。


  そこには、一つの足あとしかなかった。
  私の人生で一番つらく、悲しい時だった。


  このことがいつも私の心を乱していたので、
  私はその悩みについて神様にお尋ねした。


  「神様。私があなたに従うと決心したとき、
  あなたは、すべての道において、私とともに歩み、
  私と語り合ってくださると約束されました。

  それなのに、私の人生の一番つらい時、
  一人の足あとしかなかったのです。

  一番あなたを必要としたときに、
  あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、
  私にはわかりません」


  神様は、ささやかれた。


  「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。
  あなたを決して捨てたりはしない。
  ましてや、苦しみや試みの時に。

  足あとが一つだったとき、
  わたしは、あなたを背負って歩いたのだ」


            マーガレット・F・パワーズ




        【今日の英語の聖句】

    In all their distress he too was distressed,
  and the angel of his presence saved them. In his
love and mercy he redeemed them; he lifted them
up and carried them all the days of old.

Bible(Isaiah 63:9)


 〔彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、主の使いが
  彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、
  昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。〕

             聖書(イザヤ書 63章9節)
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by danueno | 2011-12-21 16:42 | 編集後記

「本当のクリスマス・プレゼント」 

今年もクリスマスシーズンが近づいてきました。

 街では、あちこちにイルミネーションが美しく飾られています。

 オフィスのある多摩センターでも、パルテノン多摩から駅にかけて、
 見事なイルミネーションを見ることができます。


 ところでクリスマスって、本当はどんな日なのかご存知ですか?

 単に、「みんなでケーキを食べる日」とか、
「プレゼントをもらう日」というわけではないのです。

 ちょっとウィキペディアを見てみましょう。


 ------------------------------------------------------------
  クリスマス(英語: Christmas)とは、イエス・キリストの
  降誕(誕生)を祝うキリスト教の記念日・祭日である。
  「神が人間として産まれてきたこと」を祝うことが本質である。
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 最後の一行に注目しましょう。

「神が人間として産まれてきたことを祝う」とあります。

 本来、クリスマスとは、神であるイエス様が、
「人間としてお産まれになったこと」を祝う行事なのです。


 なぜ神様が「人間として」産まれたのでしょうか?

 答はただひとつ、「死ぬため」です。
 
 神様のままでは死ぬことができないので、イエス様は、
 死ぬことを目的として、人間の姿をとられたのです。


 しかし、いったい何で死ななければならなかったのでしょうか?

 それは、私達人間の罪を「贖(あがな)う」ためでした。

 聖書によれば、数千年前のユダヤでは、人間の罪をきよめるために、
 罪のない動物が身代わりとしてほふられていました。

 身代わりの動物の血潮が流されることで、罪の代価が支払われ、
 人間の罪が赦されたのです。

 これが贖(あがな)いです。


 同じようにイエス様も、十字架の上で死んで血を流すことで、
 全人類の罪を贖ってくださいました。

 聖書の中心テーマは、このイエス様の十字架による「罪の解決」
 です。


 ところで、聖書が言う「罪」とは、実際の犯罪行為ではなく、
 その根っこにある人間の「自己中心」を指します。

 神様によって造られた人間が、神様を無視して、
「自分を中心として」生きていること、それが「罪」なのです。

 この「罪」のせいで、人間は自己中心の生き方になり、
 そこから沢山の不幸が生まれるばかりか、
 最終ゴールは「永遠の滅び」であると聖書に書いてあります。

 
 イエス様は、そのような人間を憐れんでくださり、
「罪」を赦すために十字架にかかって、ご自身のいのちを
 罪の代価として支払ってくださったのです。 

 このイエス様を信じ受け入れる人には、無代価で「罪の赦し」が
 提供されます。

 そして、ゆるぎない「心の平安」と「天国へのキップ」が
 いただけます。


 これが、本当のクリスマス・プレゼントです。




    For God so loved the world that he gave
  his one and only Son, that whoever believes
  in him shall not perish but have eternal life.

            Bible(Jhon 3:16)


 〔神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
  世を(世にあるあなたを)愛された。それは御子を
  信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
  永遠のいのちを持つためである。〕

           聖書(ヨハネ伝 3章16節)    



 ※ゴットホルド・ベック宣教師によるクリスマスメッセージ
  
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by danueno | 2011-12-14 16:59 | 編集後記

「自分」の奴隷となってはいけません

 先週は、「人間の奴隷となってはいけません」
 ということを書きました。
 
 この問題で結構悩んでいる方が多いので、今日は、その続きを
 お話したいと思います。


 前回書いたことは、人の目を気にしたり、どう思われているのだろうと
 気に病む「人間の奴隷」状態から解放されなければならない、
 ということでした。

 私達は、誰かの奴隷になる必要はないからです。


 ところが、その一方で、私達が「他人という人間の奴隷」では
 ないにしても、「自分という人間の奴隷」になっていないで
 しょうか?


 奴隷の反対は自由人でしょう。

 人間は「完全な自由」にあこがれます。

 何者にも束縛されず、好きなことを好きなようにしたい、
 という願望は誰しもが持つものでしょう。


 しかし私達が、何者にも束縛されず、好きなことを好きなように
 した結果、それで幸せになれるとは限りません。

 むしろ、自由度が増せば増すほど、それは底なしの放埒につながり、
 欲望が無制限に広がって、コントロールを失ってしまうことに
 なりかねません。

 その原因は、人間の心の奥にひそむ罪にある、と聖書は語ります。


 聖書で言う罪とは、殺人、窃盗、詐欺といった、世間一般で
 言われるところの「犯罪」ではなく、むしろ、それらの根っこに
 潜む人間の「自我」と言いかえても良いでしょう。

 その罪によって、人は憎み合い、殺し合い、戦争をします。
 聖書は、人間のこのような状態を「罪の奴隷」と呼びます。

 
 私達が「罪の奴隷」状態から解放されるためには、どのように
 すれば良いのでしょうか?

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  あなたがたはこのことを知らないのですか。
  あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、
  その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって
  死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。

            聖書(ローマ人への手紙 6章16節)

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 聖書は、「従順の奴隷」になりなさいと勧めます。

 神様を信じ、神様に従いなさい、ということです。
 
 そして、私達が従うべき神様とは、私達をしいたげたり、
 痛めつけるのではなく、私達を愛し、憐れみ、「罪の奴隷」から救い
 出すために、十字架について死んでくださったお方なのです。

 これで、「罪の赦し」の代価が支払われました。



          <今日の英語の聖句>

   For he has rescued us from the dominion of darkness and
brought us into the kingdom of the Son he loves, in whom we
have redemption, the forgiveness of sins.   

        Bible(Colossians 1:13)


〔神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子の
  ご支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、
私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。〕

 聖書(コロサイ人への手紙 1章13節)
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by danueno | 2011-12-07 17:12 | 編集後記

人間の奴隷となってはいけません

 先日、「人からどう思われているか」ということを
 気にしすぎて、悩んでいる方から相談を受けました。

 その方は、以下のようなことを切々と語って
おられました。


-----------------------------------------------------

  友人の態度が素っ気なかったり、メールを出しても
  返事が来なかったりすると、すごく不安になります。

  相手が自分のことを怒っているのではないか、
  嫌われているのではないか、とすぐ思ってしまいます。

  そのせいで、友人と話していても自分の思ったことを
  そのまま伝えることができず、つい相手に同調する
  ようなことを言ってしまいます。

 たまたま相手と違う意見を言った時には、
  後でずっと気になって激しく後悔したりします。

  こんな自分どうにかならないでしょうか?

------------------------------------------------------


 …この悩み、良くわかります。

 私も昔、自分が他の人からどう思われているか、
 気になった時期がありました。

 でも今は、あまり気になりません。

 なぜかといえば、そんな時の「特効薬」を知って
 いるからです。

 特効薬とは、下記の聖句です。


 ------------------------------------------------

   人間の奴隷となってはいけません。
          
     聖書(第Ⅰコリント人への手紙 7章23節)
 
------------------------------------------------

  
 聖書は本当にすごい本です。

 私達が人の目を気にしたり、どう思われているのだろうと
 やきもきするなら、「あなたは人間の奴隷である」と
 語るのです。

 人間は千差万別、十人十色で、
 自分のことを評価してくれる人もいるだろうし、
 そうでない人もいるでしょう。

 そんな人の評価に、私達が一喜一憂するようなら、
 結局、「人間に支配されている」ということであり、
 とても不幸なことなのです。


 聖書は、はっきりと、人間の奴隷となっていけません
 と語ります。

 本来、私達は、
「人が私達のことをどう思っているか」について、
 気にする必要はないのです。

 そんなことよりも、
「神様が私達のことをどう思っておられるか」ということ、
 こちらの方が比較できないほど大事なことです。


 では神様は、私達人間をどのように思っておられるので
 しょうか?


 ------------------------------------------------

  わたしの目には、あなたは高価で尊い。

  わたしはあなたを愛している。

      聖書(イザヤ書 43章4節)
 
------------------------------------------------


 他人があなたのことをどう思おうと、
 神様は、あなたのことを「高価」で「尊い」と思って
 おられます。
 
 あなたは神様から大いに愛されているのです。

 そして、「わたしの所に来て、平安を得なさい」と
 招いておられます。


         <今日の英語の聖句>

   Come to me, all you who are weary and burdened, and
I will give you rest. Take my yoke upon you and learn
from me, for I am gentle and humble in heart, and you
will find rest for your souls.   

         Bible(Matthew 11:28 )


〔すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに
  来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
  わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたも
わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。〕

 聖書(マタイ伝 11章28節 )
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by danueno | 2011-11-30 15:55 | 編集後記

あらゆる人間の「宿題」

谷川俊太郎の詩集「二十億光年の孤独」の中に「宿題」という
詩があります。

 非常におもしろい詩なので、皆様にご紹介します。


  --------------------------------

        宿題

    目をつぶっていると
    神様が見えた

    うす目をあいたら
    神様は見えなくなった

    はっきりと目をあいて
    神様は見えるか見えないか
    それが宿題


---------------------------------


 谷川さんがクリスチャンかどうか知りません。

 今まで読んだこの方の詩から考えると、たぶん違うと
 思います。


 しかし、神様を非常に意識しておられるのは感じます。

ときどき、「神様」や「教会」ということばが詩の中に
 登場するからです。

 私の想像ですが、きっと谷川さんは、この世を超えた存在に
 強くひかれておられるのではないでしょうか。


 上記の「宿題」という詩もそのひとつです。

 この詩は、クリスチャンである私からしても、信仰の本質を
 ついていると思います。
 

  --------------------------------------------
 
   目をつぶっていると神様が見えた

   うす目をあいたら神様は見えなくなった

--------------------------------------------


 神様の存在は人間の目には見えません。

 神様はいわゆる「この世」にはおられないからです。
 
 私達が、目に見える世界からあえて目をそらし、
 心の目を開けて虚心になった時に、神様の存在を感ずる
 ことができます。

 聖書には、次のようなみことばがあります。


  ------------------------------------------------------

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ
目を留めます。見えるものは一時的であり、見えない
ものはいつまでも続くからです。

    聖書(コリント人への手紙 第2 4章18節)

------------------------------------------------------


 目に見えない世界にこそ、永遠に続くものがあります。

 それは永遠に失われない価値であり、私達を天国まで
 引き上げてくれる存在です。

 ひとことで言えば、イエス・キリストです。


 谷川さんは、
「はっきりと目をあいて 神様は見えるか見えないか 
 それが宿題」と詩の中で書いておられますが、
 人間の心の目がはっきりと開かれれば神様は見えます。


 谷川さんは、この「宿題を済ます」ことを切望しておられる
 のではないでしょうか。

 まさに、一生かかったとしても、神様を見い出すことが
「あらゆる人間の宿題」だからです。

 


         <今日の英語の聖句>

   So we fix our eyes not on what is seen, but on what
 is unseen, since what is seen is temporary, but what is
 unseen is eternal.   

        Bible(2 Corinthians 4:18)


〔私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ
目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは
  いつまでも続くからです。〕

 聖書(コリント人への手紙 第2 4章18節)
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by danueno | 2011-11-22 16:37 | 編集後記

神も仏もあるものか

 先日、会社の取引先の方で、「ヨブ記を読んでいる」
 という方に会いました。

 ヨブ記は、旧約聖書の中に収められている書物のひとつです。

 この方はクリスチャンではないのですが、東北の大震災以来、
 思う所があって、ヨブ記を読んでおられるのだそうです。


 そのヨブ記とは、どんなものなのかと言いますと、
「世の中、何でこんなに悲惨な事が起こるの?」
 …ということです。

「神も仏もあるものか!」ということでもあります。


 ところで、ヨブとはどのような人だったのでしょうか?

 それはそれは正しい人でした。
 聖書では、ヨブのことを「義人」と言っております。
 そのヨブが、特に理由もないのに大変な災難にあいます。

 子ども達全員が事故で死に、全財産を奪われ、
 ヨブ自身はひどい悪性の皮膚病に冒されました。

 しかし、それでもヨブの信仰はゆるぐことがなく、
 神様を次のようにほめたたえるのです。


-----------------------------------------------------

  私は裸で母の胎から出て来た。
  また、裸で私はかしこに帰ろう。
  主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。

   聖書 ヨブ記 1章21節

-----------------------------------------------------


 その後、ヨブの元に3人の友人がやってきます。

 苦しんでいるヨブに対して「何かよほど悪いことをしただろう!」
 と責めます。 …いわゆる「因果応報」の理屈です。


 これに対して、神様が直接介入されて、ヨブの目を開けます。

 ヨブはついに、全能の神様に比べたら自分が塵のように卑小な
 存在に過ぎないことと、苦難の背後にある神様の大いなる
 ご計画について悟るのです。

 神様は、ヨブの財産を2倍に戻され、ヨブは以前に増して
 幸せな人生を送ることとなりました。


 さて、冒頭の話に戻りますが、大震災を目の当たりにして、
「神様がいるなら、なぜこんなひどいことをするのか!」
 と怒る人もおられるでしょう。

 しかし、私達人間は、全能者である神様を被告席につけ、
 私達が裁判官になることはできません。

 むしろ、被告席につくべきは、私達人間です。


 神様は、災いを通して、私達が全能の神様に出会うことを
 願っておられるのです。
 


         <今日の英語の聖句>

   Naked I came from my mother’s womb, and naked I will
 depart. The LORD gave and the LORD has taken away;
may the name of the LORD be praised.

          Bible(Job 1:21)


〔私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。
 主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。〕

   聖書 (ヨブ記 1章21節)
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by danueno | 2011-11-16 15:47 | 編集後記

貧しさも富も私に与えず…

 先日、友人がこうつぶやきました。

「宝くじでも当たらないかなー」


 世の中がこれほど不況になると、宝くじでも当たらないと
 首が回らない、という人がひょっとしたら、おられるかも
 しれません。


 今年の『年末ジャンボ宝くじ』は、11月24日の木曜日から
 全国で一斉に発売されるのだそうです。

 賞金は、1等が2億円、前後賞が各5,000万円で、
 1等・前後賞合わせて3億円です!


 私はくじ運が悪いのか、お年玉年賀ハガキさえあまり
 当たらないので、宝くじは買ったことがありません(笑)。


 ところで、この宝くじ、1万円や10万円が当たるのは、
 ささやかな楽しみの範囲内なのでしょうが、物のはずみで
 2億円当たってしまったらどうでしょうか?


 宝くじを買う人は、なるべく高額な賞、できれば2億円当たれ!

 と思って買うのでしょうが、それが本当に良いことかどうか
 となると、また別の話かもしれません。


 実は、高額当選者に限定して配布されるハンドブックがあって、
 そこにはこんな事が書いてあるのです。


  ・興奮の後に訪れる不安は、以前の自分に戻るための通過点

  ・後で後悔するような軽はずみな言動に注意する

  ・ひとりでも人に話せば、うわさが広まるのは覚悟しよう


 思わぬ大金が転がり込んでくるのですから、それはそれは
 興奮するでしょう。

 そして、興奮の後には不安が訪れると…。

 ちょっとでも人にもらせば、あっという間にうわさが
 広まります。

 
  ・知らせる必要のある人を全てリストアップ

  ・当せん金の分与者リストを作る

  ・もしもの時のために遺言状を作る


 分与の問題や友人知人からの嫉妬など、人間関係のトラブルは
 避けられないでしょう。

「お金貸してちょうだい」と言われたらどうするのか?

 …そんなことも考えておかねばなりません。

 
 さらには、遺言状まで用意せよとは…!

 ふと、昔、2億円当たった女性が、親しかった男性に殺された
 事件を思い出してしまいました。



 ハンドブックを読んで私が思ったことは、
「お金はパワーを持つ」ということです。 

 身の丈にあったお金は人を幸福にするパワーを持つが、
 大金は人生を破壊するパワーを持つ、ということですね。


 聖書には素晴らしい言葉があります。
 下記をご覧ください。



          <今日の英語の聖句>

   An inheritance claimed too soon will not be blessed
at the end. Give me neither poverty nor riches, but give
me only my daily bread.

          Bible(Proverbs 20:21,30:8)


〔初めに急に得た相続財産は、終わりには祝福されない。
  貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で
私を養ってください。〕

          聖書(箴言 20章21節、30章8節 )
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by danueno | 2011-11-09 17:43 | 編集後記

秋の大シンフォニー

 私の大好きな秋になりました。

 この季節は自然がとてもきれいです。
 たとえば、木々の紅葉です。

 散歩をしながら錦秋の山々を見ると、目も鮮やかな黄金色に
 色づいています。
 

 ところが、それらの紅葉も、ひとつひとつの葉を見れば、
 どれも完全に美しいものはありません。

 シミがあったり、縮こまっていたり、中には虫が食っている
 ものもあります。


 …でも、そこが良いのです。

 だからこそ、私達はそこに、絶妙な濃淡とグラデーションを
 楽しむことができるのです。

 それらの葉っぱたちが全体でひとつになる時、
 大シンフォニーのように豊かなハーモニーが生まれます。


 私達人間も同じようなものではないでしょうか?

 誰ひとり完全な人はいません。

 でも、それらのひとりひとりが互いに補完し合い、
 手を取り合って助け合うときに、ひとつの大きな調和が
 生まれる…。

 だから、ひとりひとりは不完全で良いのです。
 弱さがひとりひとり違うから助け合える…。



 これと正反対なのが軍隊の行進でしょう。

 等しく健康で強い者達が、徒党を組んで行進する時、
 見る者にうっとおしい威圧感を与えます。

 夏真っ盛りの木々の緑も、同様の威圧感を覚えるので、
 私はちょっと苦手です。


 そのうっとおしい夏も過ぎ去り、はや晩秋となりました。

 いいなー。秋って。

 

        <今日の英語の聖句>

    The parts that we think are less honorable we
treat with special honor. And the parts that are
unpresentable are treated with special modesty,
while our presentable parts need no special treatment.

But God has put the body together, giving greater
honor to the parts that lacked it, so that there should
be no division in the body, but that its parts should
have equal concern for each other.

        Bible(1 Corinthians 12:23) 


〔私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、
  ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない
器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの
良い器官にはその必要がありません。

しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだを
このように調和させてくださったのです。
それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり
合うためです。〕

        聖書(コリント人への手紙 第1 12章23節)
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by danueno | 2011-11-02 14:33 | 編集後記

癒しの楽器、リュートの秘密とは?

 皆様は「リュート」という楽器をご存知ですしょうか?

 シェイクスピアが活躍した時代に、宮廷などで愛された楽器で、
 ギターの前身と言われています。

 形はギターと似ていますが、リュートの方は胴の部分が、洋梨を
 半分に切ったような形をしています。

 これが、何とも言えない奥の深い美音で、ひとことで言えば、
「癒される音」なのです。


 ところで、リュートについては、興味深い逸話がありますので、
 ちょっとご紹介しましょう。


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  昔々、あるリュート職人が、頭を抱えてしまいました。

  やっと完成間近になったリュートに、あろうことか、
  ひびが入ってしまったのです。

  落胆した彼は、ため息をつきながら、そのリュートにせめて
  別れを告げようと弦を張り、弾いてみました。

  すると…、何ということでしょう。
  それまでに作り上げたリュートより深みのある音色が響いたでは
  ありませんか。

  自分の耳がどうかしたのだろうかと、彼は仲間のリュート職人達に、
  ひびが入ってしまったリュートの音を聴いてもらいました。

  すると仲間も、「こんなに心にしみこんでくる音色は初めてだ。
  お前はいったいどうやってこのリュートを作ったんだ、教えてくれ」
  と口々に言ったそうです。

  このリュート職人は、正直に、ひびが入ってしまったこと、
  あきらめきれなくて弦を張って弾いてみたことを話しました。

  以来、どのようにひびを入れたらそのように深みのある美しい音の
  リュートになるのか、職人たちは真剣に取り組んだそうです。


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 いかがでしょうか。

 私達の心にも時々、ひびが入るのではないでしょうか?


 失恋した時…

 人からけなされた時…

 誤解された時…

 仕事で失敗した時…

 自分に嫌気がさした時…
 

 …等々、他にも数え切れないほどのアクシデントによって、
 私達の心は打ち砕かれ、ひびが入ります。

 私達が歳を取るとは、「心のひび割れが増えることだ」、
 ということかもしれません。


 ところが、そのような心の痛みによって、私達の人格に
 ある種の深みと奥深さが加わるとしたら、どうでしょうか?

 リュートが、ひび割れによって妙なる音色を響かせるように。


【今日の英語の聖句】

    Not only so, but we also glory in our sufferings,
 because we know that suffering produces perseverance;
 perseverance, character; and character, hope.

                Bible(Romans 5:3) 


〔そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
  それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。〕

                 聖書(ローマ書 5章3節)
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by danueno | 2011-10-26 16:33 | 編集後記

「卵が先か、鶏が先か」

よく「卵が先か、鶏が先か」ということが問われます。

卵がなければ鶏が生まれないし、鶏がいなければ卵も生まれせん。
「最初は一体どっちだったんだろう…」、ということです。

…あなたは、どう思いますか?


私たちは卵と鶏を見てみると、一見、卵のほうが簡単なものの
ように見えるので、きっと卵が先だろうと思うかもしれません。

ところが最近の遺伝子工学の発達により、生物の誕生において、
「卵が先」ということは、決してあり得ないことがわかって
きました。

卵は1個の細胞で、その細胞の核の中には「遺伝子」が入って
います。

DNAと呼ばれるこの遺伝子は、じつは成体となった鶏が持つ
遺伝子と全く同じものなのです。その内容は、寸分違いません。


このDNA一個の中には、百科事典でいえば1億ページ分にも
相当するような膨大な量の情報がつまっているそうです。

この卵がどのように細胞分裂を繰り返して、どの細胞が目になり、
どの細胞が耳になり、どの細胞が足になり、どの細胞が翼になる…
といったすべての情報とプログラムが、その卵のDNA内に
含まれているのです。


遺伝子情報という観点から見れば、卵も、また成長して大きく
なった鶏も全く変わらないのです。

そして、卵は親鶏がいなければ生まれません。
卵にすべての遺伝情報を与えたのは、親鶏だからです。


世界最古の書物にして、大ベストセラーである聖書には、
「親鶏が先」と書いてあります。

まず、親鶏が神様によって造られ、卵を産んで増え広がった、と。
人間で言えば、アダムとエバが最初の人間として造られ、
増え広がっていった、と。

このように聖書では、まず「親が先」と語ります。
また、鶏や他の生物も、すべて、最初は成体の状態であった、と
聖書は述べるのです。

 

    So God created mankind in his own image,
in the image of God he created them; male and female he
created them.
God blessed them and said to them,
“Be fruitful and increase in number; fill the earth and
subdue it. Rule over the fish in the sea and the birds
in the sky and over every living creature that moves on
the ground.”    

                 Bible(Genesis 1:27) 


〔神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。
  神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。
「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、
地をはうすべての生き物を支配せよ。」〕

                 聖書(創世記 1章27節)
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by danueno | 2011-10-19 17:23 | 編集後記