ついに裁判員裁判がスタートしました。
傍聴した方の談話を読むと、民間人が量刑まで判断する事への戸惑い、 というものがありありと感じられました。 結局そこには、「人が人を裁けるのか」という根本的な問いが、 背景としてあるのではないでしょうか? これに関して、大変に興味深い物語が聖書にはあります。 ある時、イエス様の前に、ひとりの女性が引き出されてきました。 法律の専門家たちはイエス様にたずねました。 「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように 命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」 彼らはイエス様を試そうとしてこう言ったのです。 「石打にせよ」という答なら、「普段、あなたが説いている 愛と赦しの教えはいったい何ですか?」ということになるでしょうし、 「石打にしなくて良い」という答なら、「あなたは神の律法を 守っていない!」ということになるでしょう。 …イエス様は、どう答えられたのでしょうか? 「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を 投げなさい。」 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、 イエス様と女性だけが残されたのだそうです。 …実に深い話だと、私は思います。 人間はすべて原罪(自己中心の罪)を持っている、と聖書は語ります。 罪人である人間が、他の人間に石を投げる資格はない、つまり、 「本来、人は人を裁けない」ということなのです。 では、私たちは裁判員裁判にどうかかわっていけば良いのでしょうか? 個人的な意見としては、「冤罪の防止」と「情状酌量」に軸足をおいて、 この制度にかかわっていきたい、と思っています。 If any one of you is without sin, let him be the first to throw a stone at her. Bible(John 8:7) 〔あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。〕 聖書(ヨハネ伝 8章7節) ※「イエス様のやさしさきびしさ」 http://www.geocities.jp/hecaress/He/Messages/SkYasakibi.html
by danueno
| 2009-08-05 18:01
| 編集後記
|
カテゴリ
以前の記事
2013年 10月 2012年 03月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||